古備前焼や古陶磁器の年代鑑定技術は、年々最新のテクノロジーが導入され、どんどん進化しています。
それによって、これまで分かってこなかったことや、未解明の謎が、次々と明らかになってきました。
古備前焼の鑑定でも、近年になって新事実が証明されたことによって、これまでの定説や常識がひっくり返ってしまったケースも存在します。
今回は、それらの中から、近年明らかになった重要な「新事実」と「本当の歴史」について公開します!
■現在の「桃山茶陶」は、ほとんど「江戸時代」の作品だった!?
■備前焼の「桃山茶陶」は、「建水」しかなかった!?
■贋作は「〇〇時代」頃から急激に増加した!?
です。それぞれ、以下で詳しく見ていきましょう。
■現在の「桃山茶陶」は、ほとんど「江戸時代」の作品だった!?
近年、安土・桃山時代から江戸時代にかけての焼き物が全国各地から出土しました。特に、京都三条のせとものや町で出土した一群の焼き物は、「桃山茶陶」と言われる志野、織部、唐津、備前などの茶道具であったため、一躍注目を浴びました。しかし、調査の結果、分かったことは、それらの焼き物の年代が、「慶長年間後半~元和寛永頃」と判明したのです。慶長年間とは、1596-1615年です。さらに、焼き物の流行が盛り上がったのは、1600年の関ヶ原合戦以降です。つまり、江戸時代なのです。ということで、これまで桃山時代の茶陶と思われていた焼き物の多くは、実は江戸時代の作品だったと証明されてしまったのです。これによって、これまでの歴史や茶陶の認識は大きく変わらざるを得ない状況となっています。
■備前焼の「桃山茶陶」は、「建水」しかなかった!?
古備前焼の桃山時代の茶陶も、影響は間逃れませんでした。現代でも、古備前焼の桃山茶陶と言えば、「歪み」や「箆目」が豪快な「織部様式」が中心となっています。しかし、先述の通り、それらの茶陶は「江戸時代の作品」です。実際の当時(天正年間1573-1592年)の茶会記では、備前焼の茶道具は、「建水」が8割以上を占めているのです。つまり、本物の安土・桃山時代の備前焼茶陶といえば、「建水」のことを意味するのです。この歴史認識と事実は、全国の美術館や博物館が、これから改めていかなければならないでしょう。
■贋作は「〇〇時代」頃から急激に増加した!?
伝来品や伝世品を見ていくと、いわゆる「贋作」、「偽物」と呼ばれる作品は、江戸時代の初期(寛永)頃から増える印象があります。当時は、権威主義とも言える時代だったため、誰もが輝かしい由来や伝承が欲しかったのでしょう。しかし、戦国時代の伝来品や遺物は、当時ですら少なかったですから、贋作を作ってしまったと考えられます。そういう視点で、年銘の彫られている作品などを見ていくと、面白い一面が垣間見られます。
これらの視点に注意して、古備前焼の鑑定を行ってみましょう。
古陶磁鑑定美術館では、貴重な本物の桃山時代の古備前焼をオンラインで特別に公開中です。
ぜひご覧ください。