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古備前鑑定の古陶磁鑑定美術館は、研究論文「古備前焼の年代鑑定」を出版しました。

千利休と備前焼の関係は?安土・桃山時代の茶の湯のリーダー『千利休』が茶会で使った古備前焼を検証します!古陶磁鑑定美術館

【note転載】古備前研究・鑑定の古陶磁鑑定美術館です。

表紙(フチなし)

古陶磁鑑定美術館では、古備前焼を中心とした日本の古陶磁器の研究・調査・鑑定・評価・蒐集・保存・継承の事業を行っています。

みなさんは、『古美術品』という言葉を聞いた時に、どんなことをイメージしますか?

古い壺や掛け軸や茶道具などを大金で取引しているような風景を想像される方もいるでしょうし、美術館や博物館に陳列されている優雅な屏風や襖などをイメージされる方もいるでしょう。

それらの古美術品に共通することが、作品の『時代背景』です。

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もちろん、作品によって、作られた時代や産地や用途が異なりますので、それぞれの時代背景は別々なものですが、どんなものであっても、『作られた当時』の景色を面影として残しているという点では、古美術品は同じと言えます。

そして、この「時代背景を愉しむ」ことこそ、古美術品の醍醐味であり、数寄の真髄なのです。

なぜなら、古美術品を通して「悠久の時間を超えて歴史の当時に思いを馳せられる」ことこそが、数寄者の最大の面白みであり、悦びだからです。

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とは言え、それを言葉で説明してもイメージが湧きにくいかと思います。そのため、このコラムシリーズにて、古美術品が「現役」で使われていた時代の風景を紹介して参ります。

具体的には、主に「戦国時代(安土・桃山時代~江戸時代)」にかけての、茶の湯や茶会の記録や、大名や武将の逸話をベースに、当時の古陶磁や古備前焼についてのエピソードを解説します。

古美術品や骨董品に興味がある方は、ぜひこのコラムで、歴史の面影を感じてみましょう。

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今回ピックアップする逸話は、「千利休備前焼」です。

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千利休と言えば、侘び茶を大成させ、安土・桃山時代茶の湯をリードしたカリスマ茶人です。

戦国時代に流行した「侘び茶」では、枯れた景色の茶道具が好んで使われるようになります。その中で注目を浴びたのが、備前焼でした。

実は千利休は、「前回のコラム」で紹介した豊臣秀吉同様、備前焼との逸話が多い人物でもあります。

【 過去記事リンク:前回のコラムを読んでない方は、こちらから 】

千利休の茶会の様子は、当時の茶会記に記録が残っているため、利休がどんな茶道具を使って茶を点てていたのかを知ることができます。

今回は、その中から利休が使った「備前焼」をピックアップしてみましたので、当時の利休と備前焼との関係性を考察してみましょう。

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■ 千利休が茶会で使用した備前焼一覧(茶会記より)

【建水】
1566年 9月 堺 備前物ハウ之サキ(※棒の先)
1567年12月 堺 備前水下
1567年12月 堺 ヒセンハウノサキ
1570年 2月 堺 備前水下
1573年12月 堺 備前水下
1576年12月 堺 ひせん物水下
1578年 6月 堺 備前水下
1579年 1月 堺 備前水下
1579年 4月 堺 備前水下
1581年 9月 堺 備前水下
1582年12月 堺 「新キ」備前水下(※新作の特注品か?)
1584年12月 堺 備前水下

【花入】
1567年12月 堺 床 備前物ニ花入而(※茶会記史上初の備前焼花入)

【茶入】
1587年 6月 博多 御茶入備前肩衝ヲ白地ノ金ランノ袋ニ入、緒ツカリ紅也、利休被仰ニハ、此茶入ハホテイト申候、袋ハカリナホトニト有也(※布袋茶入)

茶会記の記録を見ると、利休は、1566年から1587年までの約20年以上に渡って、備前焼を茶会で使っていたことが分かります。

千利休(宗易)が、今井宗久、津田宗及と共に、天下三宗匠として織田信長に召し抱えられるのが1569年で、秀吉に切腹を命じられるのが1591年ですから、そのほとんどの期間で、備前焼の茶道具を使っていたのです。

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茶道具の種別では「建水」を主に用いています。村田珠光や武野紹鷗らが興した侘茶の伝来通り、やはり備前焼と言えば、「建水」だったのでしょう。

利休は、その中でも「棒の先」と呼ばれる形の建水を好んで使っていました。この棒の先という形は、担ぎ棒の先端に付けられている金属製の金具に形が似ていたことから、そのように呼ばれています。

また、1582年12月の茶会では、「新キ」備前焼建水を使っています。

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わざわざ「新キ」との表記を加えているのは、それまで主に使われていた「見立て」と呼ばれる中古の代用品と比べて、この建水が「新しい特別な注文品」であったことを示唆していると考えられます。

つまり、この建水は、利休が備前に注文して作らせた「オーダーメイド」の建水だったのではないでしょうか。

今あるものでは満足せずに、自ら作り出す。まさに利休の美意識の高さが伺えるエピソードの一つです。

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それ以外の器種では、「花入」と「茶入」を共に一度ずつ使用しています。どちらも数や頻度は少ないですが、花入は、茶会記史上最初の使用であり、茶入は、かの神谷宗湛を迎えた茶会で使った「布袋茶入」ですから、どちらもインパクトは多大なものがあります。

やはり、茶聖千利休の影響力は、凄まじいものがあったのでしょう。

そんな利休の茶会の脇で佇む備前焼建水の存在感は、ずしりと力強いものだったことが伝来品からも伺えます。

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このような「時代背景」を知っていると、当時の大名や武将を身近に感じたり、歴史の遺物(伝来品)に愛着を感じたりできるようになります。

そんな、安土・桃山時代備前焼を通じて、千利休が生きた戦国時代に思いを馳せて見ませんか?

古備前焼の年代鑑定 古陶磁鑑定美術館

古陶磁鑑定美術館のホームページでは、書籍「古備前焼の年代鑑定」の出版記念展覧会として、千利休が生きた安土・桃山時代から江戸時代にかけての古備前焼の名品を、オンラインで特別に公開中です。

戦国時代の茶人や大名は、一体どんな備前焼茶道具を使って、茶の湯を行っていたのか?

その答えを、実際の「伝来品」を通じてみることができます。

ぜひ、ホームページをご覧ください。また、書籍「古備前焼の年代鑑定」を宜しくお願い致します。